2025

2024

※「生ミルク」とは生乳のこと 

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STORY

STORY

冬になると雪に埋もれる小さな酪農牧場で、ハルは生まれた。
幼い頃に母を病気で失い、酪農家の父に男手一つで育てられた。
父は頑固で無口だった。一年中、牛たちの世話で忙しい父とは、
どこかへ連れて行ってもらったとか、そんな思い出はほとんどない。
けれど父が時折、しぼりたての生ミルクを使ってつくってくれた
ミルクアイスの味はよく覚えている。それが父の味だった。
自然の中でのびのびと育ったハルも、
思春期になると次第に都会への憧れがつのっていった。
牧場での牛たちとの生活しか知らない自分にとって
テレビや雑誌で見る都会の同世代の子たちは眩しく輝いて見えた。
ここから抜け出すには、あっち側に行くには、今しかない。
ハルは必死で受験勉強をし、東京の大学に合格した。
一人娘に牧場を継いでほしいという希望が父にはあったかもしれない。
でもハルの決断に、父は何も言わなかった。

東京での学生生活は思ったよりもキラキラしてはいなかったけれど、
人並みに勉強し、バイトし、友達と遊び、恋もした。
そして順調に、それなりに名の知られている会社に就職が決まった。
社会の一員として機能する自分。都会の生活にすっかり馴染んだ自分。
そんな自分が誇らしくて、毎日があっという間に過ぎて行った。
でも次第に、東京の狭い空に息苦しさを感じることが増えていった。
ここは自分の居場所じゃない。そう思って地元を出たのに、
今また、同じような気持ちを抱きはじめているかもしれない。
ベランダから夜空を見上げる。星の数を数えてみる。
故郷の星はこんなもんじゃなかった。
雪の中のしいんと静かな牧場の上空に、
雪粒の数にも負けないほどたくさんの星が瞬いていた。

知らせが届いたのは初夏の、星の見えない雨の夜。
父と共に牧場を経営していた叔母の夏子さんからの電話だった。
牛の世話をしているときに倒れた父が、
そのまま帰らぬ人となってしまったのだった。
最終の新幹線に飛び乗った。なんとか座席に落ち着き、
起きていることをやっと理解しようとする中で、ハルはふと思った。
「・・・あのミルクアイス、もう食べられないんだな」

葬式が終わり、実家の牧場を片付ける。
この牧場も売らなくてはならない。
突然逝ってしまった父への怒りのような悲しみのような感情と、
それでもやらなければならないこととの間で
途方に暮れながらも手を動かしていると、
毎日まめにつけていたらしい牛の観察日誌の中から、
別のノートの切れ端が見つかった。
「ミルクアイスのつくりかた」と書いてある。

ひとつ、しぼりたての生ミルクだけをつかうこと。
ひとつ、余計なものは加えないこと。
ひとつ、信じられる素材を選ぶこと。
ひとつ、ミルクの味を極限まで引き出すこと。
ひとつ、牛に愛情を注ぐこと・・・

あとに続くレシピには、何度も試行錯誤し書き直した跡がある。
お世辞にも上手とは言えない父の字から、
ミルクアイスへの愛があふれていた。

「ああ、もう一度食べたいな」
そしてそこにはもう一枚、古い写真が挟み込まれていた。
父のミルクアイスを食べる幼い頃のハルが、
真っ赤なほっぺたで、なんとも幸せそうに笑っている。
しばらくその写真を見つめていたハルは、
自分でも想像すらしていなかった決断をする。
「この牧場を、私が継ごう。
そして、あのミルクアイスをもう一度つくろう。
自分のために。そしてみんなのために。」

ハルの決意に最初は驚いた夏子さんも、
牧場の仕事をサポートしてくれることになった。
東京とはまたちがう、いや、ずっとずっと過酷な毎日。
学ばなければいけないこともたくさんある。
でもハルは持ち前の根気強さで、少しずつ仕事を身につけていった。
少し余裕がでてきた冬の初め、父のノートを見ながら、
ミルクアイスづくりに挑戦する日々が始まった。
何度も失敗した。父の頑固と、娘の頑固とがぶつかりあった。

生きているときにはできなかった、父と娘との対話だった。
父はノートの中で、ミルクアイスに完成はないと語っていた。
もっともっとおいしくできると。
それを完成させるのは、私しかいない。と、ハルは思った。
季節がひと巡りし、また冬がやってきて、
ついにハルのミルクアイスの味が完成した。
ひとくち食べれば、濃厚なミルクの味が口に広がる。
それでいて後口は、この故郷の空のように
清々しいほどにまっすぐに澄んでいる。
「うん。この味だ」
ハルの顔に、思わず笑顔があふれた。

「ミルクアイスは、牛乳で決まる。」
ノートに記された父の言葉の意味が、今のハルにはよくわかる。
牛というひとつひとつの命と真剣に向き合い、
まっすぐに愛情を注げば、牛たちは必ずそれに応えてくれる。
おいしい生ミルクという、かけがえのない宝物をくれる。
父のノートには、牧場や牛たちへの思いも詰まっていたのだ。

ハルは最近、一頭一頭の牛たちの気持ちがわかる気がする。
がむしゃらに働くだけの時期から成長し、
ほんの少し、父に近づいたのかもしれない。
いや、あんな頑固な父に似ているなんて思いたくないけど。
まっすぐな想いと、まっすぐな素材だけがつくる、まっすぐな味。
だから一口食べると、誰もが笑顔になる。
この牧場と、この味を守り続けていこう。ハルは改めて決意した。

「わたしは、ミルクアイスが好きだ。」

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CAST

ハル

ハル

北国の酪農牧場のひとり娘として生まれ、父・冬樹に男手ひとつで育てられた。東京の大学に進学し就職したが、父の訃報を聞いて帰省し、あるきっかけで牧場を継ぐ決心をする。何事にも一生懸命でまっすぐな性格。

冬樹(父)

冬樹(父)

ハルの父。妻を亡くし、牧場を経営しながらハルを育て上げた。無口で頑固だが、仕事への情熱は深い。

夏子(叔母)

夏子(叔母)

冬樹の妹であり、ハルの叔母。兄が継いだ牧場を共に経営してきた。ハルの成長をあたたかく見守る、よき理解者。

ヨシくん家族

ヨシくん家族

同じ町に住む一家。冬樹や夏子と旧知の仲で、ハルも小さい頃よく遊んでもらっていたヨシ君と、その子ども達で好奇心旺盛なチサ、引っ込み思案なタクの姉弟。

ミルクアイスが好きだ。
黒木 華 くろき はる

黒木 華 / くろき はる

生年月日 1990年3月14日(35歳)
出身地  大阪府

2010年NODA ・MAP番外公演「表に出ろいっ!」に娘役で出演後、
映像作品にも活躍の場を広げ、「小さいおうち」では第64回ベルリン国際映画祭最優秀女優賞(銀熊賞)を受賞。
近年の主な出演作は、映画「日日是好日」「イチケイのカラス」「せかいのおきく」「アイミタガイ」、ドラマ「凪のお暇」「下剋上球児」「光る君へ」、舞台「ケンジトシ」「ふくすけ2024―歌舞伎町黙示録―」など。
2025年も公開待機作が数本控えている。